きょうの VistaNetz

2009年11月21日(土)



「チームバンタエン」羽田のレポート

今回の研修、事前にきちんと自分の中の目標を掲げてから参加するべきであったと帰国してから感じた。

まず言葉の通じない場所に行くわけであって2〜3日で会話が出来るはずも無く、さぁどうやって現地の人とコミュニケーションをとろうか飛行機の中で考えた。だが考えれば考えるほど訳が分からなくなり、出たとこ勝負に決めたのだった。インドネシアは真夏で、この時期は日本で言う梅雨。ジメジメとした気温と巻き上がる砂煙で、まともに目もあけれない状態だった。日差しが強くとても日光浴できる気候ではなかった。肌が痛い・・・。

初日のスケジュールは関西空港からデンパサールに飛び、マカッサル行きの便がその日は無い為ホテルに宿泊となった。泊まったホテルがデンパサールの中心部で目の前の通りは歓楽街。日本人旅行客も多い為歩いていると片言の日本語で客を呼んでいた。日本人はお金を持っていると知っているらしく通常より高い金額をふっかけているようだった。

二日目は始発の飛行機で清一さんが待つマカッサルに飛んだ。時間にして約 1 時間。空港には今回日本とインドネシアのパイプ役として、なくてはならない存在のユメイナさんと初対面。…美人です。ほんとに。

そしてついに清一さんと再会!見た目は全然変わらないが後々すごい事が分かった。再会の場所はハジカラトヨタ本社。日本の都会にあるディーラーとさほど作りは変わらなかった。そこで清一さんの通訳変わりのハサンさん、サービス部長さんそして現社長のイメルダ女社長さんに、今回訪れた内容を報告した。ちなみにイメルダさんの父は元インドネシアの副大統領でした。皆さんと握手で挨拶をしたのに何故か僕だけアイコンタクトのみ…。なぜ??そこは笑顔で返した。

次に僕にとっては今回研修のメインイベント☆そうです、弊社の12ヶ月点検のデモンストレーションです。普段どおりにやればいいから♪って清一さん…結構緊張しました。どうか YOU-TUBE で流れませんように。評価は帰ってきて直接聞いてください。次に清一さんが実際にいる工場に足を運び先ほど言ったすごい事が分かった。

既に清一さんはインドネシア人になっていた。通訳がいなくても普通に会話でき、コミュニケーションもとれ、さすがだなぁ〜と改めて感じた。本当はここでも12カ月点検のデモをする予定だったが停電の為あえなく断念となった。ここマカッサルは発電所の故障が原因で1日3回は停電になるそうで・・・。

車の メンテナンスというのは基本『壊れて直す』だそうです。 2つの工場を見て感じた事、リフトは2柱リフト。ネッツ南国にはないタイプが主流。工場は思っていたよりキレイで仕事も次から次へと入ってきており、想像とは別ものだった。ここで少しでも会話できるようになっていればまた違った報告が出来ていたのかも…悔やまれます。

三日目は貧困地区、バンタイン県へ。今回本当は間に合っていたはずの救急車と消防車の贈呈式ならびに知事のヌルディンさんに報告の為、車で向かった。ウワサの護送付きで。
パトカー先導、サイレン鳴らしっぱなしでぶっ飛ばす。道も狭くてゴチャゴチャした所を平均100キロ位で走行…。ちなみに僕はパトカーに乗った。と言うか、むしろそうなった。日本でも滅多に乗らないのにこんなところで乗るなんて♪今となっては余裕で話しているが言葉もわからない、本当に警察?違うところ行かんでね?そんな不安でいっぱいだったのと、一番驚いたのことが途中いきなりドライバーの方がタバコを吸いだし、こちらに何か言ってくるが意味が分からない!そのうちタバコをこっちに出したので吸えってことか!!ここで断って公務執行妨害で逮捕されたら嫌だったのでスラマッパギ♪って言って吸った…。
ちなみにおはようございますって意味です。

やっと打ち解けたところで目的地に到着。偉い人に逢うってそうそうないので、粗相のないように人の後ろに隠れるようにしていた。ヌルディン知事は昔日本にいたそうで日本語も普通に話せてなんだか遠いところに来たのにすごく身近に感じた。

知事に会う前に病院へ向かったのだが何と表現をしたらいいのだろうか。
胸を苦しませる光景を目の当たりにして言葉を失った。
これが現実なのだとしたらやっぱり僕らは恵まれているな。
できる事はなんだろうと考えさせられる。

もう一箇所、道沿いから離れた場所に行き、そこで隠して持っていった玩具を手渡した。
日本のぜんまいで動く玩具がめずらしいそうで、後はぬいぐるみが好評だった。

インドネシアはお金持ちか貧しいか。持っている人は持っている。持っていない人はもっていない。車は贅沢な商品でヴィッツは新車で¥300万。税金も無く維持費は壊れたら直すか、1万キロ毎の点検をするか。なぜか軽自動車は一台もおらず、トラックは1960年代のダイナなど古いものばかり。車よりバイクが多くて、3人乗り4人乗りが当たり前。明らかに小学生もバイクに乗っていた。
日本では考えられないが、僕的には30年位前の日本が今のインドネシアなのかと思った。

今回仕事として学んだ事は、明らかに日本より効率は悪い。整った設備、工具がない中同じ車を整備しているわけで。でも日本は恵まれた設備、工具(SST)がある中有効に活用できているのだろうか。無くてもなんとかする。そういう感情が薄れているのではないだろうか。年々技術は進化し続けているがそれに対応できていけてないのでは?やはり基礎が大事である。基礎があるからこそ応用できる、改めて感じさせられる研修であった。

 
人として学んだ事、やはり何より便利すぎる。僕もどちらかと言うと無駄遣いをするほうで必要ないものも買ってしまう。趣味もたくさんある。趣味があっても出来ない人もいる。家庭もいずれもつだろし、自分のためだけに生きるのではなく、誰かのために費やし尚且つ自分も成長しながら生活していかないといけないなと強く感じた。
 
頭で分かっていてもなかなか出来ない事もあるかとは思うが、少しずつでいいので実際に体で感じることも必要だと感じた。
 

 

--編集部注-----------------------------------------------------------
弊社のスタッフらが感じたままに寄せたインドネシア研修レポートです。
数日間、何回かに分けて公開して参ります。ぜひご覧ください。

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