ALFA ROMEO Giulia TZ

アルファ・ロメオ TZ ストーリー (後半)

最後のフロントエンジン・ベルリネッタ

TZの生産モデルは9種類の様々なノーズをテストしたのち、1963年初頭に完成、3月のジュネーヴ・ショーで公開された。TZは1965年まで107台が生産されるが、その後期の4台(シャシーナンバー106と107、108、110)には実験的に軽量化を目的としてFRPボディが架装された。これはザガート製のアルミボディから直接型を起こしたもので、ミラノのバルザレッテイ・エ・モディリアニが製作を担当、ボディ単体でアルミの92kgに対し67kgと驚くほど軽かった。このため、車両重量はアルミ製ボディの660kgに対し、FRPボディでは30kgほど軽い630kg程度におさまっていた。

コンペティションに参加を始めると、TZはアルファ・ロメオの目論見どおりGTの1600ccクラスでは大成功を収め、セブリング12時間、デイトナ24時間、ルマン24時間、ニュルブルクリング1000km、そして地元のタルガ・フローリオでも、また敵なしの存在であった。その舞台はクローズド・サーキットだけでなく、アルペン・ラリーやトゥル・ド・コルスのようなハイスピード・ラリーでも総合優勝さえ果たす存在となった。だが、1.6リットルクラスでは無敵といっても、当時の国際格式のレースでは1.3〜2リットルまでが同一のカテゴリーに収められるため、常に2リットルエンジンのポルシェ904GTSを敵に回さなければならなかった。
1960年代中頃までのアルファにとって、嫌な存在は常にポルシェで、SZのころには356カレラ2が、TZが走り始めるころにはミッドエンジンのモダンな904の熟成が進み、きらに後には洗練された906が押し寄せるといった苦しい状況であった。

ブッソは1964年の初め、TZをベースに、実験的に競争力をアップさせるため、ルーフラインを下げるなどのモディファイを施していた。いわばTZの発展モデルであるTZ2(登場以後、前モデルはTZ1と呼ばれる)は、シャ
シーは共通ながら、後期のTZと同様にFRP製ボディを採用、どちらかといえばグラマラスなTZに比べ、ギリギリ肉を削ぎ落としたスパルタンなものであった。シャシーの大きな変更点は、もはや時代遅れになった15インチ・ホイール/タイヤに代え、ワイドな13インチの小径タイヤの使用を前提としたことである。またエンジンもさらに高度なチューンを可能とし、搭載位置を低くするためドライサンプに変更された。ちなみに四国自動車博物館の展示車両実測によれば、バルクヘッド左右に走るパイプの位置は35mm低くされている。さらにシリンダーヘッドも1気筒あたり2本のプラグを備え、吸排気のバルブ径を拡大した新しいものが搭載され、11.4の高い圧縮比から170HP/7500rpmを発生した。このエンジンは将来(1965年)にデビューする予定のジュリア
GTAに搭載されるユニットで、TZ1にも搭載され実験が繰り返されていた。強力なエンジンを備えたこのTZ2は、アルミボディのTZ1よりさらに軽い620kg前後であったから、より大きなポテンシャルを秘めていた。

TZ2は市販されることはなく、ワークスカーとしてすべてアウトデルタの管理下に置かれることになった。1964年の10月にトリノ・ショーで公式デビューしたのち、翌65年4月のルマン・テストデイでサーキットに姿を現し、ただちに実戦に投入された。またもや1.3〜1.6リットルクラスでは素晴らしい速さを見せたが、事情はTZ1の場合と同様でレースによっては2.0リットルカーと同一のクラスを走ることも多く、そこでは熟成の進む904やさらにその発展型である906の後塵を拝することが多かった。アルファ・ロメオの唯一の慰めはジュリアGTAがツーリングカー・レースで圧倒的な強さを示していたことであった。彼らはしばらくの間ツーリングカー・レースに熱を上げ、市販車にも大きく寄与することになる。もちろんスポーツカー・レースでの苦戦にもただ黙って座しているわけではなく、そのころアウトデルタではまったく新しいミッドエンジンのレーシングスポーツ、ティーポ33の開発
が進みつつあったのだ。

TZ2 シャシーナンバー106

TZ1とTZ2がいったい何台造られたかは、諸説があり実のところはっきりとはしない。アルファ・ロメオの歴史を紐解くうえでバイブルとなる、LuigiFusi著のAlfa Romeo All Cars From1910によれば、TZシリーズは12台のTZ2を含めて総計124台が造られたとある。この本に掲載されている事柄はすべて内部資料に基づいているため、一般的にはこれが定説となっている。しかし、SZ/TZだけを網羅したMarcelloMinerbi箸のAlfa Romeo−Zagato SZ TZの巻末のリストで数えると、TZlとTZ2は通しナンバーでシャシーナンバーは001から始まり117で終わっており、総数で117台が数えられる。このうちTZ2との注釈がついているものを挙げれば、101(ベルトーネのカングーロ)、104(TZ2のプロトタイプ)、109、111〜117(このうち114がピニンファリーナのショーカー)であり、106がFRPボディのTZlからTZ2に改装されたとある。つまり2台のショーカーを除くと純粋のTZ2は8台+1台(106)が造られたと判断できる。そのいっぼう、TZ2を所有するマラネッロ・ロッソ・コレクションの豪華なガイド・ブックを含め、複数の書籍が10台だとしているのも興味深いところだ。また、前述のMarcello Minerbiによれば、複数のTZ1がアウトデルタによりTZ2にコンバートされたとも記されており、このへんの経緯が諸説を生み出しているのだろう。これはコンペティション・モデルにおいては別に珍しいことではない。

四国自動車博物館に展示しているTZ2は、シャシーナンバー106で、前述したTZlからコンバートされたものである。この106は、1965年にFRPボディのTZ1として生まれたが、完成して間もなくボディを火災で損傷し、リピルトされるにあたりTZ1としてではなく、TZ2スペックとして生まれ変わり、アウトデルタのワークスカーとして使われたという経歴を持っている。1965年のルマンにはカーナンバー42として参加しているが、当時のルマンでの写真を見るとまだ過渡期のモデルで、全体のラインはすでに完成されている一方、ノーズはまだTZ1の面影を残していた。ちなみにこれに近いノーズ形状を持つモデルはミラノのアルファ・ロメオ博物館に展示されている。1966年シーズンはニュルブルクリング1000kmののち、タルガ・フローリオではピント/トダーロ組がドライブして、総合4位、クラスウィンという好成績を果たしたのがこのシャシーナンバー106で、リアフェンダーにはその戦歴が誇らしげに記されている。

 

参照文献:SUPER CG 15号 1992年